なぜ欧州トップリーグでプレー経験のある浦和レッズ主将の酒井宏樹は無名のニュージーランドのクラブへの移籍を決断したのか?
マルセイユとの契約を1年残して浦和へ移籍した理由を、当時の酒井は「体が動くうちに日本へ帰りたい、という気持ちを抱いていた」とこう続けていた。
「そして、日本のなかでも自分にいい意味でのプレッシャーや責任感、緊張感をもたらしてくれるクラブを探していた。浦和レッズには特別なファン・サポーターがいるし、その部分で僕に緊張感や責任感を与えてくれる存在だと思えたので」
浦和ではクラブの歴史に残る大仕事を成し遂げている。サウジアラビアの強豪アル・ヒラルを2戦合計2-1で振り切り、自身にとって初めて、浦和にとっては5大会ぶり3度目の優勝を果たした2022シーズンのAFCチャンピオンズリーグ(ACL)を、酒井はリリースのなかで万感の思いを込めて振り返っている。
「ACL決勝第1戦で大アウェイのなか、サウジアラビアまで足を運んでくれたファン・サポーター約700人の姿。あの光景と後押しは今でも鮮明に、脳裏に焼き付いています。みなさんの熱いおもいと一緒に獲ったACLのタイトルは、今後自分がどのようなキャリアを進むとしても、絶対に忘れることはありません」
酒井はACLを「自分が浦和に移籍してきた最大の目標」と語ってきた。
思い出されるのは、決勝進出をかけて全北現代(韓国)と激突した2022年8月の準決勝。渾身のタックルで相手ボールを奪った酒井がカウンターを発動させ、延長後半が終了する直前に追いついた浦和が、PK戦の末に勝利した試合後だった。酒井はマルセイユから浦和への移籍を決めた際の、知られざるエピソードを自ら明かしている。
「当時は家族も代理人も含めて、誰一人として浦和への移籍に賛成する人はいなかった。この移籍が成功だったかどうかは僕自身が証明するしかないと思っていたし、そのためにはこのACLを獲ることが絶対に必要だと思ってきた。まだ何も成し遂げていないけど、決勝に進めたのは僕にとって非常に大きなことです」
最大の目標を成就させた酒井が、新たな目標やモチベーションを求めはじめても決して不思議ではない。酒井自身、サッカー人生で抱く哲学をこう語っている。
「僕のプライオリティーは常にクラブが一番であり、クラブでの充実感やモチベーションに重きを置いてきた。それがなければ、毎日がつまらないものになってしまうので」