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医師と会長の“二刀流”仲間達也氏(中)と副会長の井崎洋志氏(右)と杉崎正明氏(左)
医師と会長の“二刀流”仲間達也氏(中)と副会長の井崎洋志氏(右)と杉崎正明氏(左)

「もう(ドン)山根派なんて話は忘れていい」“アマボクトップ”日本ボクシング連盟の新会長は心臓外科医との異色二刀流

 アマチュアボクシングの日本ボクシング連盟の会長及び執行部役員、理事の体制が一新し6月30日、新宿区の Japan Sport Olympic Squareで会見が行われた。23日の総会、臨時理事会で第14代の会長に選ばれたのは仲間達也氏(43)だ。心臓、血管のカテーテル治療医として名の通った医師で異例の二刀流。今後のアマチュアボクシング界発展のための4つの方針を示した。また選出された計19人の理事に今年1月に亡くなった“ドン”山根明元会長の派閥に属していた人物は一人もいなくなり「もう山根派とか山根派じゃないとかの話は忘れていい」と発言。故山根氏の後を受けて改革を進めてきた前会長の内田貞信氏(51)には名誉会長の立場で協力を求める考えであることを明かした。

 

 第14代の新会長に選出された仲間氏は異色の二刀流だ。
 東京ベイ・浦安市川医療センターで循環器内科の部長として勤務。心臓、血管のカテーテル治療医として業界で名の通った人物が、内田前会長が6年かけて進めてきた改革のバトンを受け継ぐことになった。
「この10年は、激動の歴史。6年前から内田体制のもとで運営にかかわらせていただいたが、ゼロというかマイナスからのスタートで、負の遺産がこんなにも重いのかと感じてきた。基本的には、3期で公約をやり遂げたという理由でクリーンにバトンを渡された内田体制を踏襲。よりこうした方がいいという改革を進めていきたい」
 仲間氏は具志堅用高氏や浜田剛史氏らを生んだ沖縄の地でボクシングを始めた。県内有数の進学校である昭和薬科大付属高校出身で、同校にボクシング部はなかったが、名伯楽として知られる故・金城真吉氏や沖縄水産高の監督だった川上栄秀氏らの教えを受けて、高3の1998年にフェザー級でインターハイ予選の沖縄大会、九州大会で優勝した。その後、勉学に集中するため競技からは離れたが、リングドクターを目指して宮崎医科大(現在の宮崎大医学部)に進み、その頃“強豪”日章学園高の監督だった菊池浩吉氏の好意で同校の練習に合流するなどしていた。大学卒業後は、リングドクターとして宮崎大会や九州大会の競技をサポート。6年前に宮崎出身の内田氏が、“クーデータ”を起こし、独裁体制を敷き不正な奈良判定などを行っていた故“ドン”山根明氏を“追放”すると、会長に就任した内田氏と副会長になった菊池氏らに誘われ専務理事として改革を支えてきた。内田体制では、隔年開催に格下げとなっていた国体を毎年開催に戻し、ストップされていたJOC(日本オリンピック委員会)などからの助成金を復活させ、昨年3月には連盟の公益財団法人化に成功した。また国際審判の合格者を6年間で約3倍にあたる100人に増やすなどしたが、それらの活動を事務方の中心として、具体的に推し進めてきたのが仲間氏だった。
 医師との兼務で責任のある仕事ができるのか?との疑問はあるが、「これまでも事務局長的な立場で内閣府との交渉などバックヤードの雑務をやってきた。業務は変わり私が前に立たねばならなくなるが、両副会長の心強いサポートがあるので大丈夫。病院では常勤で働いてはいるが、管理職で現場に張り付いている状況ではない。比較的自由に動ける立場なので大丈夫」と、兼務に対する不安は打ち消した。
 副会長に選ばれた井崎洋志氏も、博報堂の広告マンという異色の二刀流。ライターとしてWBC世界スーパーフライ級王者だった徳山昌守の“追っかけ”をしていたこともある。立教大のボクシング部の総監督だったが、連盟の仕事に集中するために退任するという。
 もう一人の副会長の杉崎正明氏も関大ボクシング監督で、広報戦略委員長の岩崎仁氏は、早大ボクシング部の監督で、産経新聞社勤務。記者ではなくメディアビジネス局所属だが、彼もまた異色の二刀流だろう。

 

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