なぜサッカーパリ五輪代表FWの平河悠は移籍先に英2部のクラブを選択したのか?
サッカーのイングランド2部リーグのブリストル・シティは9日、パリ五輪代表に選出されているFW平河悠(23)を、FC町田ゼルビアから期限付き移籍で獲得したと発表した。契約期間は2025年6月末までの1年で、完全移籍に移行できる買い取りオプションが付帯している。群を抜くスピードと切れ味鋭いドリブルで初めて臨むJ1リーグを席巻し、初昇格ながら首位を快走する町田をけん引してきたサイドアタッカーは、念願のヨーロッパ移籍でなぜ「2部」を選択したのか。
背番号は町田時代と同じ「7」
海外クラブへの移籍を前提とした手続きと準備のため、町田を離脱すると発表されてから3日。パリ五輪代表18人に名を連ねる平河の新天地が決まった。
イングランド2部リーグにあたる、EFLチャンピオンシップのブリストル・シティは日本時間の9日午後に、平河を2025年6月末までの期限付き移籍で獲得したとクラブ公式HPや公式X(旧ツイッター)で発表した。
背番号は町田と同じ「7」に決定。契約には2024-25シーズンの活躍次第で完全移籍に移行できる、買い取りオプションが付帯している。すでに渡英し、現地でメディカルチェックなどを済ませた平河は古巣を通じて、シーズン途中の移籍を認めてくれた町田への感謝の思いを含めて、初めての海外挑戦へ向けた抱負を発表している。
「この機会を与えて下さった監督・スタッフ・強化部・チームメイトのみなさんに感謝しています。短いサッカー人生の中で、自分自身の目標達成の為にどうすべきかを考えた結果、この決断に至りました。初めての移籍となりますが、必ず活躍して、良い報告が日本に届くよう全力で頑張ります!FC町田ゼルビアでプロキャリアをスタートできた事を誇りに思いますし、胸を張って行ってきます!」(原文ママ)
佐賀県鹿島市で生まれ育った平河は、佐賀東高から進学した山梨学院大3年次の2021年9月に卒業後の町田加入が内定。同時にJFA・Jリーグ特別指定選手として承認され、大学サッカー部に所属したまま町田の公式戦に出場できるようになった。
もっとも、高校時代からまったくの無名で、卒業後には就職を考えていた時期もある。最後の夏に初めて出場したインターハイでのプレーが認められ、ほんのわずかでもチャンスがあるのなら、とプロを夢見て大学へ進学した経緯もある。
町田に可能性を見いだされ、卒業後の加入が内定したのは東京五輪が終わった直後でもあった。パリ五輪代表が決まったときには、平河はこんな言葉を残している。
「プロになると決まったときは、自分がパリ五輪世代だと認識すらしていませんでした。もちろんプロで、すぐに試合で出られるとも思っていませんでした」
しかし、当時の町田を率いていたランコ・ポポヴィッチ監督(57)もすぐに平河に魅せられる。現在は鹿島アントラーズを率いる指揮官は、特別指定選手の期間中にJ2リーグ戦で17試合出場させた平河をこう語っていた。
「彼は町田で大きな存在だった。非常に高い能力の持ち主であり、試合結果を左右する選手でもある。ごく近い将来、日本代表に入っていく選手だと思っている」