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パリパラリンピックの車いすラグビーで日本が米国を破り悲願の金メダルを獲得した(写真:西村尚己/アフロスポーツ)
パリパラリンピックの車いすラグビーで日本が米国を破り悲願の金メダルを獲得した(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

「最高の喜びがパリにあった」パリパラ五輪の車いすラグビーで日本が米国を破り悲願の金メダル…なぜ逆転ドラマで歴史を塗り替えることができたのか?

 

「目指してきた場所は金メダルでしたけど、いま現在の日本チームとして、3位か4位のどちらを取るのかと言われれば銅メダル。メダルなしで終わるよりも、チームとしてすごくいい結果につながったという意味では、僕たちは今日のコートでしっかりと、金メダル以上に輝けた。ここまで支えてくれた、たくさんの人たちに感謝したい」
 このとき、人知れず悔し涙を流している選手もいた。次世代エースとして期待されながら、東京大会の出場時間が10分あまりだった当時19歳の橋本へ、銅メダルを授与された表彰式後に池崎はこんな言葉をかけている。
「この大会を忘れるなよ。悔しかっただろうけど、今度は勝也の番だぞ。オレたちは期待しているから、頑張っていこうな」
 翌2022年4月に、それまで務めていた、生まれ故郷の福島・三春町役場を退職した橋本は、日興アセットマネジメントとアスリート契約を結んだ。競技に集中できる環境のもとで、バトンを託されたエースとして歩みはじめた。
 池崎や池、さらにはアテネ大会から6大会連続出場となる島川慎一(49、バークレイズ証券)らの先駆者たちが必死に築きあげてきた土台のうえに、生まれたときから両手の指や足に抱えていた障害を乗り越え、自他ともに認めるエースに成長した橋本が、コート上で群を抜くスピードを日本代表に融合させた。
 最後を締めたのも橋本だった。残り6.9秒。相手のパスをインターセプトした橋本が、拾ったボールをアリーナの天井を目がけて、美しい放物線を描かせた間に第4ピリオドの終了と、金メダル獲得を告げるブザーが鳴り響いた。
 感極まったのか。それまで笑顔で覆い隠していた涙を、橋本はフラッシュインタビューの間にたまらず流している。
「世界一の選手になるために何が必要なのか、何をすべきなのか、ひとつひとつ課題をクリアしていったことでいまの結果があると思いますし、自分一人の力ではここまでこられませんでした。最高のチームメイト、そして普段の練習を支えてくださるトレーナーの方々といった、自分の周りの方々に本当に感謝したい」
 男女混合で争われる車いすラグビーは障害の程度が重い順に、0.5点から3.5点の持ち点が与えられ、コート上でプレーする4人の合計を8点以内に収めなければいけない。ただ、女子選手が起用されている間は、合計持ち点の上限が8.5にアップする。
 東京大会に続いて出場した倉橋の持ち点は0.5で、献身的なディフェンスで貢献し続けた乗松は1.5。いわゆるローポインターと呼ばれる選手が頑張る分だけ、3.5の橋本に象徴される、障害の程度が軽い選手を起用できる余地が生まれる。歴史と選手個々の努力のすべてを融合させた日本が、悲願の金メダル獲得とともに歴史を塗り替えた。

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