なぜ阪神は岡田監督に続投要請をしなかったのか?
阪神はそのトップダウンを受け入れ、15年ぶりの岡田監督の再登板が決まり、リーグ優勝、日本一の感動をチームとファンにもたらした。角CEOは阪急前社長の杉山氏をオーナーとして送り込むなど岡田監督のバックアップ体制まで固めた。角CEOの強権発動は、結果的に大成功に終わったわけだが、今夏になって「私たちが口を出すのはこの2年まで。次の監督人事は阪神電鉄と球団が決めること」という姿勢を明らかにするようになった。
岡田監督の契約は2年。3年目以降の監督人事は阪神に一任したのだ。
劇団員の不慮の死による宝塚歌劇団の問題で揺れ、角CEOが来季限りの退任を株主総会で、明言せねばならない状況に追い詰められるなど、阪神タイガースの問題にパワーを注げないという状況も影響したと考えられる。
阪神タイガースにおける阪神と阪急のパワーバランスが変わり、再び監督の人事権を取り戻した阪神は、もはや阪急に忖度することなく、契約社会のルールに従って2年契約を遵守する道を選び、続投という特別なオプションは採択しなかった。
その背景には、岡田監督の手腕を正当に評価する前に「阪急さんに押し付けられた人」という経緯への“反発”があり、歯に衣を着せぬ意見を言い、フロントからすればコントロールしにくい岡田監督への“アレルギー”もあった。
岡田監督というある意味“劇薬”を使いこなすマネジメント能力が阪神には欠けていた。監督の人事権が、阪神に戻った以上、2年前に次期監督として入閣させるつもりだった“意中の人”藤川氏を監督に据えようとするのは、自然の流れだったのかもしれない。
岡田監督は就任時に「長くやるつもりはない」と明言していた。その2年の任期内に結果を残す公約も実現した。そして勇退の花道として岡田監督の尊厳を守るには十分のフロントのポジションも用意された。だが一方で「大阪万博が開催される2025年に阪神を優勝させて関西を盛り上げたい」との夢を語っていたこともある。
今季限りで退任することへの胸中はまだ明かされていないが、自分に課せられた責任は果たした「やりきった」感と、連覇を実現できなかった悔しさが交錯しているのだろう。だが、まだ“下剋上日本一”という大きな目標が残っている。有終の美へ。岡田監督には思い残すことなく日本の野球史に刻まれる最高のタクトをふるってもらいたい。
(文責・本郷陽一/RONSPO、スポーツタイムズ通信社)