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阪神の藤川球児新監督はあえて就任会見で具体的なビジョンを語らなかった(写真:西村尚己/アフロスポーツ)
阪神の藤川球児新監督はあえて就任会見で具体的なビジョンを語らなかった(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

なぜ阪神の藤川球児新監督は就任会見で具体的な優勝ビジョンを語らなかったのか?

 

また藤川新監督は、岡田体制での内部事情も詳しく留任するコーチから聞きたいと考えている。なぜなら藤川氏は現役時代、岡田監督から次の真弓明信監督に監督交代した2009年に、前年に巨人と優勝争いをしたチームが、その反動から4位に転落したことを経験しているからだ。
「前回に岡田監督が監督だった08年の時から09年以降の野球を自分の中で覚えている。野球のベースが移り変わった記憶があって。そこで選手たちが岡田監督という素晴らしい強烈なリーダーシップを持った野球から、僕自身もそうですけど、簡単にパッと変化できなかったというのがあった」
 監督交代で起きるハレーションを今度はなんとか阻止したい。
 その年は、WBCの影響もあり、JFKを形成していた久保田智之、先発ローテーの岩田稔、そして捕手の矢野燿大らが故障で開幕に出遅れ、新外国人のメンチの失敗などもあり、前年度は8月まで首位を独走していたチームが一転、Bクラスとなった。
 実は、2度目の登板で初年度に優勝した1985年の吉田義男氏以降の阪神は歴史的に新監督は初年度に苦労している。
 村山実氏から中村勝広氏にバトンタッチした1990年は5位から最下位。中村氏から藤田平氏の1996年は最下位から最下位で、その翌年に交代した吉田義男氏が最下位から5位。1999年の吉田氏→野村克也氏も最下位から最下位。2002年の星野仙一氏は、最下位から4位へ順位を上げたが、それでもBクラス。その星野氏の優勝の後にチームを預かった岡田監督も1年目は4位だった。2012年の真弓氏→和田豊氏は4位から5位と順位を落とし、和田氏の後を受けた金本知憲氏は、3位から4位。金本氏の次の矢野燿大氏は、最下位から3位と成績をジャンプアップさせたが、結局在任4年間で2位が2度、3位が2度とAクラスは保持したが優勝はできなかった。
 藤川新監督が、備えようとしているのはその部分。
「前年度日本一、そして、今年も2位まで強烈に追い上げた。岡田監督とたくさんプレーしてきたので(知っているが、そうしたのは)監督力。選手たちも素晴らしく脂が乗ってきているが、岡田監督というのは、駒が変わっても同じような順位に持ってくる力があった。もし、僕が来たことでチーム(成績)が下がってしまうようなことがあれば、選手たちに力がないということになる。僕は2009年以降、必死でチームを支えた。そういう意味で選手たちの本気度と、現状維持に見えるような選手は危機感を持って臨んでもらいたい」
 藤川新監督は「力のないベテランは必要がない」とまで言い放った。
 優勝、2位と歴史的な好成績を残した岡田監督の後を引き継ぐ藤川新監督に科せられた期待とノルマは「優勝」しかない。それには新外国人を含めたフロントのバックアップが不可欠だが、勝負のできる戦力はある。プロ野球のポジションで最もプレッシャーのかかるストッパーという場所でプレーし続けてきた藤川新監督にしてみれば、ある意味、そのプレッシャーはお手のものなのかもしれない。
(文責・RONSPO編集部)

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