電撃引退した最後の「松坂世代&ダイエー選手」和田毅がオフの旅番組企画でOBの池田親興氏に明かしていた「終わりの美学」
会見で和田は、膝、腰だけでなく、内転筋の肉離れも起こしていたことも明かしていた。クライマックスシリーズ、日本シリーズでの中継ぎ左腕としてのチーム貢献を考えて、終盤には中継ぎテストをしたが、9月25日の西武戦では肩に痛み止め注射を打って登板。10月13日の実戦形式マウンドで左足を痛め、ポストシーズンでの登板はできなかった。
池田氏は、和田の凄さを「魔法のような投球術」と表現した。
「42歳で150キロをマークしていたが、おそらく打者の体感としてはもっと速く感じていたと思う。腕が隠れて出て、ストレートと変化球の腕の振りは同じ。回転数や回転軸などのベストのポジションを常にキープしていたんだと思う。ボールの質、そして投球術。最高のものを追求し続てきた姿が素晴らしいと思う」
和田は思い出に残るゲームとして、早大から“逆指名”で当時のダイエーに入団したルーキーイヤーの2003年の日本シリーズ第7戦に先発して2失点完投で胴上げ投手となったゲームをあげた。池田氏も「あの星野阪神との第7戦が私も印象に残っている。新人なのに、最後キャッチャーに背を向けて外野に向かってガッツポーズをした。なんてチーム全員のことを考えている男なのかと思った」と振り返った。
今後について和田は「まったく何も決まっていない」という。
ソフトバンクでは、もちろん将来の幹部候補。
「今の自分ではまだまだ勉強不足ですぐなれるとは思っていない。しっかりと勉強してそういう日が来るのであってオファーをいただけるのであれば、それに見合う人物になって戻りたい」と偽らざる気持ちを口にした。
池田氏も「まるで哲学者のような人格者。社会貢献や子供達への野球普及にも力を入れてきた。コーチよりも監督向きだと思う。どのタイミングがいいかはわからないが、まずはコーチから入って将来的にはソフトバンクを監督として引っ張っていってもらいたい」と見ている。
和田が残したレコードは、日米通算165勝94敗。2010年、2016年に最多勝タイトルを獲得し、2016年は最高勝率との2冠だった。2003年の新人王に2010年はMVP。オールスターには6回選ばれた。
「悔いのないやり残したことのない野球人生だと思っています」
最後まで涙はなかった。