「愛するボクシングがあったからこそ頑張れた」死刑の冤罪を晴らして無罪を勝ち取った元プロボクサーの袴田巖さんが9年ぶりに後楽園で観戦も48年間の拘禁症影響でリングに上がれず
釈放後自宅でボクシングの話は「全然したことがありません」という。
「テレビでもボクシングの試合をあまり見ないが、見るときもある。その日の状況にとって違う。調子がいいときは見るし、悪いときは見ない」
58年にも及ぶ戦いを支えたのはボクシングだったという。
「ボクシングで鍛えていたから頑張れたと思っています。巌はボクシングしか知らない。他のことは知らない。ボクシングを愛していることは間違いない」
袴田さんは、現役時代に1年に19試合を戦い、日本での年間最多試合の記録を作った。「プロボクサー崩れ」を理由に逮捕されて、捜査機関に自白を強要され、証拠まで捏造されて、殺人犯に仕立てあげられたが、その鍛えた肉体と精神が48年もの独房生活に耐えさせたのだ。だが、釈放されると同時に胆石を除去する手術を行うなどその肉体も精神もボロボロになっていた。
――袴田さんにとってボクシングとは何だったのか?
「青春そのもの。30歳までやっていましたから」
ひで子さんは迷うことなく答えた。
会見には中谷も同席した。
袴田さんとは初対面。車いすの袴田さんの側に寄って膝を折り「おめでとうございます。来ていただき、この場に僕もいさせていただき、ありがとうございます」と話かけた。
袴田さんの不屈の精神は中谷にも何かを訴えかけた。
「無罪を獲得されて、長い間、戦ってこられた。僕自身も力をもらいました。今ボクシングができていることに感謝し、僕ができることを精一杯頑張っていかなくてはと強く思う」
2日前に控訴を放棄した静岡地検の検事正が袴田さんの自宅へ謝罪に訪れた。無罪確定後に、検察最高トップの畝本直美検事総長が「捜査機関の捏造と断じたことに強い不安を抱く」との談話を発表し、あたかもまだ犯人として疑っているような問題コメントを残した。弁護団は強く反発したが、地検の最高トップは「袴田さんを犯人視をすることはないことを直接伝えたい」とその談話を打ち消した。ひで子さんは「今さら、検察にどうこういうつもりは毛頭ない。これは運命だと思っています」と謝罪を受け入れた。