帝拳ジムのマネージャーを70年以上務めた長野ハルさんが逝去した。99歳だった。(写真は王座から陥落した山中慎介に優しく声をかける生前の長野さん/山口裕朗/アフロ)
「帝拳ジムの母として多くの選手を育てボクシングと添い遂げた人生」元WBA世界ミドル級王者の村田諒太が語る99歳で逝去した長野ハルさんの偉大なる功績
その長野さんの心に深い傷を残したのが、1973年に首都高で不慮の事故死をとげた大場氏と、2009年に日本ミニマム級王座決定戦での深刻なダメージで帰らぬ人となった辻昌建氏の悲しい出来事だった。両親から預かった選手を無事に引退させて両親に返すまでがマネージャーの仕事であり責任だという信念を持っていた長野さんは、当時マネージャーの職を辞することを考え、帝拳ジムの閉鎖も検討された。
帝拳ジムには、暗黙のルールがある。挨拶や礼儀は、もちろんのこと、酒、タバコの禁止と、車に乗らないこと。時代と共に、家族を持つボクサーが増え、車を乗らないことなどのルールは風化したが、長野さんが、生活を律することで伝えたかったのが、ボクサーである前に人としてあるべき姿であり、他の格闘技とは一線を引く、ボクシングの伝統、歴史、そして素晴らしさだったのだろう。
生涯独身を貫いた長野さんは、名を残すことを嫌い、人を残した、
歴代の世界王者がすなわち長野さんの偉大なる功績の証である。
生前の長野さんが、本田会長に「大場以来の才能」と言ったのが、WBOアジアパシフィックバンタム級王者の那須川天心だった。
「あの70年以上ボクサーを見てきたマネージャーがそこまで言うんだよ」
帝拳ジムをそして日本のボクシング界を見守り続けた名マネージャーが最期に見初めた天心は、2025年に世界へと挑む。
長野さんは、きっと天国でも目立たぬように、どこかの片隅から眼鏡越しの優しい目をリングに向けて見守っているのだろう。
(文責・ROSNPO編集部)