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殿堂入りした元阪神の掛布雅之氏と元中日の岩瀬仁紀氏
殿堂入りした元阪神の掛布雅之氏と元中日の岩瀬仁紀氏

野球殿堂入り通知式で“ミスタータイガース”掛布雅之氏にイチロー氏が確かめた“都市伝説”とは何だったのか…世代を超えた2人の天才打者が交わした日本野球改革論

 野球殿堂博物館は16日、東京ドーム内の同所で2025年度の殿堂入りを発表し、プレーヤー表彰でオリックス、マリナーズなどで日米通算4367安打をマークしたイチロー氏(51)、通算1002試合登板、407セーブの日本記録を持つ元中日の岩瀬仁紀氏(50)、指導者での功績などが加味されるエキスパート表彰では阪神で2軍監督を務め、現役時代に本塁打王を3度獲得するなどした掛布雅之氏(69)が選ばれた。掛布氏は、控室で「投高打低」などの日本野球が抱える問題ついてイチロー氏と意見を交換したという。

 タイガースと阪神ファンがいなければこの場にいない

 

 伝説の「ミスタータイガース」が殿堂入りした。
「テスト生で入団した私がこういう会見をするとは考えもしなかった。自分でもびっくりしている。阪神タイガースにお世話になって、チームメイトに恵まれ、球団のサポート、ファンの方々の声援がなければこの場にいない。あらためて阪神、阪神ファンに感謝している。阪神のOB会長に選ばれ、今年は阪神の創設90周年。何かの縁があったのかな」
 いつものしゃがれた声で掛布氏は、素直な心境を口にした。
 7日に殿堂入りの連絡があり妻に伝えると「まさかあなたが」と驚いていたという。昨年は当確となる75%以上の得票にわすか2票足りなかった。
「皆さんから今年は間違いないと言われたので、選ばれなければ嫌だなと少し緊張した」と笑った。
 イチロー氏が通知式のスピーチで列席の殿堂入りの3人とゲストスピーカーの王貞治氏、原辰徳氏、森繁和氏らとのそれぞれのエピソードを披露したが、掛布氏に関しては、「ここでは言えない都市伝説についてお話をいただいた」と発言した。
 SNSでは「掛布さんの都市伝説ってなんだ?」と話題になった。
 掛布氏に確認すると「都市伝説でもなんでもない。もうみんなが知っている話。私の若かりし頃に犯した今でも反省している失敗談」と教えてくれた。1987年に名神高速で、酒気帯び運転で逮捕され、自宅謹慎処分となった苦い記憶である。
 1973年に習志野高から“コネ”を頼ってドラフト6位で阪神に入団。1m75、77kgの小さな肉体をゴムまりのように弾けさせ、プロ15年で、本塁打王3度、打点王1度、ベストナイン7回、ゴールデングラブ賞6度の堂々たるキャリア。朝まで飲んで一睡もせずに臨んだオールスターでは3連発の偉業も成し遂げた。
 思い出の一打は、あの1985年の甲子園バックスクリーン3連発ではない。
 1977年のヤクルトとの開幕戦で松岡弘氏から打った満塁本塁打である。
「前年に3割をクリアして、取り巻く環境が変わり、野球の怖さを感じ出した4年目のシーズンの第1打席。2-2の平行カウントからインコース寄りのストレートをライトスタンドへ運んだ。プロ野球で意識した最初の本塁打かもしれない」
 掛布氏は会見で阪神の4番論も熱く論じた。
 田淵幸一氏が真夜中の通告で西武へトレードされた際に電話があり「江夏やオレのように途中でタテジマのユニホームを脱ぐ選手になったらダメ。最後まで着続けて4番を打てよ」とのメッセージを受けた話を明かし、こう続けた。
「ホームランを打ってヒーローになり、チームの負けも背負える田淵さんを見て、阪神の4番とは、こうでなけれなといけないと思った」
 掛布氏が打てずに負けた試合ではスポーツ新聞の一面の見出しは「掛布ブレーキ」だった。掛布氏の前に4番を任された田淵氏もそうだった。
 だが今の阪神で打てずにスポーツ紙で叩かれる打者はいない。
「昔はつらい記事も書かれた、それが4番の宿命だと思ったが、今は邪魔をするマスコミもいなくなった(笑)。マスコミも優しくなった。球団の選手を守るし選手にとって野球はやりやすくなった」
 だからこそ藤川新監督のもと4番を背負う後輩へこうエールを送る。

 

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