「あんたらで決めたことでっしゃろ!」亡くなった阪神の吉田義男氏が「岡田、掛布、バース」を擁して日本一に輝いた1985年に教えたこと…春季キャンプ事件と「守りで攻める野球」
2度目の登板となった1985年には監督として、球団初の日本一を手にした。
高知・安芸キャンプでは、当時、暴力団の抗争が激化していたこともあり、いらぬトラブルに巻き込まれないため、休日のゴルフが禁止されていた。だが、息がつまる日々に選手の間からは、不満の声が高まり、当時の選手会長だった岡田氏、掛布氏、真弓氏らの主力選手が中心となって、吉田氏に「ゴルフ解禁」を直訴したことがあった。すると、吉田氏は、「あんたら選手会で決めたことでっしゃろ。キャンプの1か月だけは、最後まで決めたルールは守りなはれ」と、少し憤慨した様子で却下した。
厳しい姿勢を貫くと同時に「自分たちに厳しくあれ」と選手を大人扱いしたのである。そのシーズン、吉田氏は、岡田氏、掛布氏、バース氏ら主力には、サインは、ほぼ出さなかった。選手達に、自分たちで考え、自分たちの役割に責任を持つことを教えて時には「ダメ虎」とも叩かれたチームを頂点へ導いたのである。
今季から指揮を執る藤川球児監督は、V奪回へ向けて、岡田前監督が作りあげたチームをさらにブラッシュアップしようと、選手に主体性を求めているが、その原点は、吉田氏の野球にあるのかもしれない。
藤川監督は、球団を通じて、「突然の訃報に驚いています。偉大な大先輩であり、またお元気な姿で再会して叱咤激励いただけるつもりでいましたので、残念でなりません。素晴らしい先輩方が作り上げた伝統を、私たちが責任を持って受け継ぎ、また次の世代に繋いでいきたいと思いますし、天国の吉田さんに良い報告ができるように、目の前のことに全力を尽くしてシーズンを戦っていきます。故人のご冥福を心よりお祈りいたします」との追悼コメントを出した。
通夜、葬儀、告別式は家族葬で行われ、後日、改めて球団の「お別れの会」が開かれる予定だ。