
賛否呼んだ「くじ引き」決着の真相…西日本ボクシング協会長選に敗れた亀田興毅氏を直撃取材…「なぜ2期6年の実績がある山下正人氏と同数の支持を集めたと思いますか?」
2019年の協会長選挙で山下氏と争った六島ジムの枝川孝会長は、当時、28票を集めた。その際、枝川氏を支持した会長が今回は亀田支持に回ったのでは?という見方もあった。しかし、あるジムの会長は「実はそうじゃなく、ずいぶんと支持が入れ替わっているようです。そもそも枝川さんが、今回、山下さんを支持しましたから」という。
立候補した3人はそれぞれが推薦人の中から、選挙の責任者を一人決めるのだが、山下氏の“選挙参謀”を務めたのは枝川氏だった。ちなみに亀田陣営の選挙の責任者に指名されたのは、江坂ジムの福山正治会長。亀田氏は「しがらみとか関係なく、協会に必要なものが何なのかを見ている人」と指名した理由を説明した。
関西のボクシング界の重鎮的立場にある某会長は、亀田氏がジムに来た際、「まだ若い。あなたは協会の理事もやっていない。もうちょっと勉強して協会のことを理解し、実績を積んでから出馬すべきではないか」と諭したという。
「スポンサーなどを協会につけて各ジムの興行を支援するような話をしていたが、ひとつ間違えば、協会を私物化する危険性を感じましたわ」
この重鎮は亀田に1票は投じなかった。
3年前に亀田氏は「ABEMAスペシャルマッチ」としてヒロキング(KWORLD3)とRIZINで活躍している人気格闘家である皇治とのエキシビションマッチを企画したことがある。当時、迷走していたJBCはペナルティを科さずに不問にしたが、協会内では物議を醸した、いまだに業界には“亀田アレルギー”が根強くある。音楽イベントと合体させて長時間に及ぶ現在の興行スタイルへの批判もある。
では、亀田自身は何が27人の会長に響いたと感じているのか。
本人を直撃した。
「そこはわかりませんわ」と苦笑いした亀田氏は、こう続けた。
「プロモーターとしてやれることには限界がありました。日本のプロボクシング界がマネージャー制度でなくクラブ制度である以上、その窓口である協会がジムを守り、ボクシング界の発展に力を入れるべきなんです。関西には育てた選手が東京に流出するという問題もあります。選手はよりいい環境にいくのは当然です。じゃあどうするか。僕は1年マニフェストと、3年マニフェストに分けて、ジムの会長さんに説明しました。まず選手を増やすには、興行を増やすこと。興行主に頑張ってもらうための特典を協会が用意すると訴えました。そのためには協会にも新規の売り上げが必要でスポンサーやメディアをつける。興行が増えれば、3年後には、選手が増えます。その主張に賛同してもらえたんですかね?」
――ヒロキングvs皇治のエキシで問題を起こしたあなたは、協会長にはふさわしくないという声もあった。
「言っておきますが、JBCからの処分はなく、僕らがJBCのルールを違反したと認定されているわけでじゃないんですよ。過去をさかのぼったらキリがない」
――もし当選していたら、JBCルールでは禁じられている他の格闘技とボクシングを融合させるつもりだったのか?
「それは考えていなかった。ボクシングは格闘技界と交わるべきではないと思っているんです。格闘技の選手がプロテストを経てボクシング界に来てくれるのであれば大歓迎でしょう。今回の協会選で改めて感じたのは、全国に何百件というジムというインフラを整えているボクシング界の歴史と裾野の広さ、そして高校、大学に部活動があるということ。ボクシングを守っていかきゃいけないと思いました」