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つば九郎の担当者が亡くなった(写真・黒田史夫)
「俺は知ってるぞ…実はあなたが大粒の涙を流していたのを…」天国へ旅立ったヤクルト「つば九郎」の担当者への高津監督の直筆の手紙が泣ける…SNS上で「涙腺崩壊」
つば九郎の担当者はもともとはヤクルトの出入り業者として神宮球場で仕事をしていた。売店や球場の掃除まで裏方としてサポートしてきた。つば九郎としてデビューしたのは1994年。フリップボードを使ったユーモアにあふれたメッセージや帽子を使ったくるりんぱのパフォーマンスで人気ものとなった。その後、球団職員となり、オフの契約更改はいつも話題になった。つばみちゃんの担当者などは、数年で交代していたが、つば九郎の担当者はずっと一人だった。
その人懐こいキャラクターは、監督やコーチ、選手にも愛された。気遣いを忘れない面と、なにより情熱が本当にリスペクトされていた。
高津監督の心のこもった追悼のメッセージにSNS上は涙のリポストであふれた。
「油断すると目から汗が出る状態が続いていますが、高津監督のお手紙で、また涙腺崩壊です」
「タイガースファンなんですけど。 つば九郎が好きです。 ってこんなに好きやったん?って感じで悲しいです。 高津監督のお手紙でまたまた泣いてしまいました。 偉大な存在ですね」
「あああぁ… 言葉にならない」
「涙腺崩壊。 つばちゃん、こんなに思われているマスコットはいないよ。 高津監督の言葉の通りに冗談でしたとオープン戦にひょっこり帰ってきてよ‥。 監督の言葉が嬉しくてまたブログで書いてくれるでしょ‥? そんな思いが消えない。 もう会えないなんて思えない。 つばちゃん‥会いたいよ‥」
ヤクルトファンだけでなく、他球団のファンからも多くのメッセージがSNSに寄せられた。つば九郎の担当者が、訴え続けてきたヤクルト愛は、ファンの心の中に永遠に刻まれたままだろう。
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