
拳四朗がガンで亡くなった“大恩人”プロレスラー西村修さんに王座統一を誓う…「最後までレスラーだった。勝ってお参りしたい」試合前だが8日の告別式に参列
拳四朗には大きな進化があった。
「自分で考えながら展開を作ることを意識している。今までは(インターバルで)セコンドに戻らないと、戦い方を変えられなかった。でも今はラウンド中に細かく作戦を変えられる。攻めるだけでなく、今はディフェンスなんだと考えられるようになった」
これまでは信頼している加藤トレーナーに作戦から練習メニューまで“丸投げ”だったが、前戦くらいから、変化が出ている。
「ボクシングを理解し始めたのでしょう。実際、対峙している感覚というのは、外からはわかりづらい。自分で考えることができれば一番。スパーなんかでは、こちらが考えていた指示以上の修正や変化を自分でできるようになった」と加藤トレーナー。
アスリートの覚醒のきっかけは主体性にあるとされる。サッカーの元日本代表監督として2度もW杯で指揮を執り、南アフリカ大会ではベスト16入りを果たした岡田武史氏は「やらされるのではなく自分たちで考えることができれば強くなる」と訴え続けていた。今はJ2昇格を果たしたFC今治のオーナーとして、チーム運営にかかわり、高校まで作りその世代から「自分たちで主体的に考えること」を指導している。
三十路を超え円熟期に入った拳四朗は覚醒の時を迎えている。
「圧倒するのはもちろんいい勝ち方できれば盛り上がる。圧倒的に僕が一番強いと思わせたい。 練習で自信をつけ自分の中で想像はできている。それ通りにできれば圧倒できる」
絶対に負けられない理由がある。2月28日に新日本プロレスなどで活躍したプロレスラーで文京区の議会議員だった西村さんが天国へ旅立った。拳四朗は2020年7月に泥酔して他人の自家用車をボコボコにする器物破損の“乱行”を働き、JBCから3か月のライセンス停止処分と300万円の制裁金、そして6か月の間に48時間以上200時間以内の社会貢献活動を行うことを命じられた。京都、東京、千葉、横浜などで、登下校の”見守り隊”や、地域のゴミ拾い、介護施設での手伝いなどをしたが、その際、知人を通じて、そのボランティア活動のひとつを紹介してくれたのが、西村さんだった。
西村さんは、ただ紹介するだけでなく、護国寺などの清掃や雑草取り、境内のみかん狩りなど、100時間を超える活動に寄り添い、一緒に付き合ってくれた。
引退さえ考えたドン底の拳四朗に新しい自分を見つめ直すきっかけを作ってくれた。
「ほんとに僕が一番しんどい時にボランティア活動でお世話になりました。朝は一緒にラジオ体操もしてくれてね。手伝ってくれました。すごく優しくいい方でした」
拳四朗は、その謹慎期間中に禁酒を誓い断食合宿にも参加するなど生活形態を変えた。玄米菜食をモットーとしていた西村さんには、オーガニックの食材など食事の面でも「こういうのがいいよ」などのアドバイスをもらったという。
その頃、異変はなかった西村さんだが、2024年に体調が悪くなり、ステージ4の食道ガンに侵され、転移が始まっていることを告白した。
フェイスブックではつながっていて「ジムに通われているのを見た。元気だと思っていました」と、ガンを克服する姿に安心していた。それだけに突然の訃報に「突然でビックリしました。53歳…まだ若いっすね」とショックを受けた。
拳四朗は、ガンに立ち向かい、リングに上がり続け、筋トレを続けていた西村さんの姿に感じるものがあったという。
「ガンになっても筋トレするってすごいっすね。最後までレスラーだったんですね」
西村さんの告別式は8日に2人で社会貢献活動をした護国寺で行われる。
「試合前なんですが、行きます」
試合5日前で最後の減量調整に入る厳しい時期だが参列する考え。
「もちろん勝ってお参りしたい」
“大恩人”の墓前に2つのベルトを捧げたいという。